奏楽

今のオーボエ、昔のオーボエ&貴重な録音もどうぞ!【めだかの学校・音楽教室 第2回】

今のオーボエ、昔のオーボエ&貴重な録音もどうぞ!【めだかの学校・音楽教室 第2回】

上の写真は、2本のオーボエを並べて撮ったものですが、

左は、僕が現在使っている楽器、

そして右は、50年以上前、中学生時代に使っていた楽器です。

よく見ると、右のほうがキーや部品が少ないのがわかるかと思います。

 

中学生時代に使っていた楽器は、日本管楽器製のオーボエで、

軍楽隊のために作られたものだったそうです。

中学生時代の恩師、松浦真先生が、

札幌の楽器屋さんか、骨董屋さんから、見つけ出してきたものでした。

 

僕の使っていた楽器は、専門的に言うと、

「セミ・オートマチックシステム」の楽器で、

今でいう「スチューデントモデル(トリルキーなどが少し少ないモデル)」のようなものでした。

陸軍軍楽隊で使われていたものと聞いていただけあって

かなり古く、音程には少し難があった楽器ですが、音色は豊かだった?気がします。

 

今は、日本管楽器を引き継いだヤマハがオーボエを作っていますが、

中学生の当時は、日本製のオーボエがなくて、少し寂しい思いでした。

 

 

ちなみに、当時の海軍軍楽隊では、
「フル・オートマチックシステム」の楽器が使われていたと聞いていましたが、
先日、偶然にも、調律師の井筒和幸さんから、
その海軍軍楽隊で使われていた楽器を譲って頂いたので、写真に撮りました。

この楽器は、位の高い方が使われていた楽器の様で、
楽器に彫られている刻印には、錨のマークもついています(写真右)。

 

 

ところで、前回のブログで

「酒と音楽は、ラベルをはがして酔え!」

と、松浦先生がおっしゃっていたことをご紹介しました。

 

松浦先生は、

「良い音楽は、ジャンルに関係なく、良いものは良い!」

ともおっしゃって、中学生の僕たちに、様々なジャンルの音楽を演奏させてくださいました。

 

なかでも、『歌謡100年』というメドレーは、忘れられません。

これは、街頭宣伝(いわゆる“チンドン屋”)の音楽にも使われた「美しき天然」から始まり、

「リンゴの唄」など、明治・大正・昭和の歌謡曲をまとめた長大なメドレーでした。

 

「酒と音楽は、ラベルをはがして酔え!」

この言葉からは、

「音楽に限らず、ものごとの本質を見極めなさい!」

と、聞こえてきます。

どんな時も、どんな状況でも、ラベルをはがして、ものごとを見たいものです。

 

それでは、『感謝新聞』前回の続きをご紹介させていただきます。

今日はコンクールの思い出です。

 

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岩崎さんが部活動で印象に残っていることのひとつに、吹奏楽コンクールがある。

今では審査員を務めることもあるが、自身が吹奏楽コンクールに出場した時のことは、

昨日のように思い出せる、という。

弘昌少年が江陵中学校にいた3年間は、全道大会には出場するものの、

その先の全国大会には進めない時期が続き、

ついには松浦先生に「お前は疫病神だ!」と言われる始末。

 

しかし高校生になり、自らが学生指揮を務めた高校3年生時には、

初心者から上級者までが協力して演奏できる体制を創意工夫し、

念願の全国大会出場を果たす。

結果は銀賞。同じく全国大会に進んだ松浦先生の中学校は銅賞だったため、

「敵を取った!」と思ったとか。

(これにはもちろん、先生への恩返しの気持ちも含まれている。)

 

(平成31年4月29日発行 オーボエとピアノの夕べ『感謝新聞第1号』より抜粋、補筆修正済み)

 

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最後に、僕が中学校3年間、吹奏楽コンクール全道大会に出場した時の録音もご紹介したいと思います。

第14回・15回の演奏では、途中に、僕のソロが聴こえるところもあります。(先述の日本管楽器製のオーボエの音です。)

録音状態が悪く、お聴き苦しいところもありますが、

よろしければ、お聴きください。

 

第13回全日本吹奏楽コンクール 北海道大会(1968年)
課題曲  吹奏楽のための「序・破・急」ト調 (陶野重雄)
自由曲  組曲《展覧会の絵》 より キエフの大門 (ムソルグスキー)

 

第14回全日本吹奏楽コンクール 北海道大会(1969年)
課題曲  吹奏楽のための小品《ふるさとの情景》 (川崎優)
自由曲  歌劇《運命の力》 より 序曲 (ヴェルディ)

 

第15回全日本吹奏楽コンクール 北海道大会(1970年)
課題曲  オラトリオ「サムソン」序曲 (ヘンデル)
自由曲  楽劇《神々の黄昏》 より ジークフリートの葬送行進曲 (ワーグナー)

岩崎弘昌

滝川市生まれ。国立音楽大学を卒業と同時に札幌交響楽団に入団。87 年ドイツのハンブルク国立歌劇場管弦楽団の研究員として、ライナー・ヘルヴィッヒのもとで研鑽を積む。88 年帰国後、札響に復帰。その後、ソリストとしても活躍の場を拡げ、95 年には東京文化会館でリサイタルを開催し好評を博す。2008 年より札幌及び近郊在住の若手演奏家と共にアンサンブルグループ・奏楽(そら)の活動を始める。2020 年 11 月、札幌交響楽団を定年により退団。現在、NPO 法人奏楽理事長を務め、音楽を通じての社会貢献活動、道内外各地での演奏活動を精力的に行っている。

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